須江航監督(仙台育英)の高校時代(経歴)や家族を調査!チーム作りへの思いとは!

スポーツ

東北勢初の甲子園優勝を果たした仙台育英 須江航監督

「青春ってすごく密なので」という名言でも話題に。

彼の経歴や高校時代の出来事、偉業を支えた家族やチーム作りの基礎となっている考えなどに興味がわきませんか?

そこで今回は「須江航監督(仙台育英)の高校時代(経歴)や家族を調査!チーム作りの思いとは!」という記事にまとめてみました。

 

須江航監督の高校時代(経歴)

経歴

小学校2年生で野球をはじめる

中学:鳩山町立鳩山中学校

高校:仙台育英高校 野球部に所属

大学:青森県八戸大学 野球部で学生コーチを務める

 

2006年から秀光中学校(仙台育英高校の併設型の中高一貫校)に就職

情報科教諭、同時に軟式野球部の監督に

 

もともとは地元埼玉県で教職に就く予定だったようですが、恩師からの誘いを受け東北に留まったようです。

この時埼玉でUターン就職していたら、東北勢初の甲子園優勝の快挙はもっと後のことになっていたのかもしれませんね。

 

また就任当時は創立間もなく、弱小と言われた軟式野球部を五年で全国大会に導きました。

総括すると十二年の在任期間中に全国中学軟式野球大会七回出場、2014年には優勝をもたらすなどの実績を残しています。

 

2018年1月からは仙台育英高校の野球部監督に

これは前年に発覚した野球部員の飲酒・喫煙問題の責任をとり佐々木順一郎監督が辞任、教え子である須江監督が後を継ぐ形での就任。

半年間の対外試合禁止という困難な状態からのスタートだったのです。

 

高校時代

須江監督のことを調べてみると、仙台育英野球部で過ごした高校時代の経験が現在の監督業にも大きな影響を及ぼしているようです。

 

中学卒業後に出身地を離れ、甲子園常連校である仙台育英へ進学。

強豪野球部に入部し、初日から他の部員たちとの圧倒的な実力差を感じていたそうです。

そんな環境下で「何をどのように努力して、何がどれくらいになったら試合に出られるのか」

ということに関心が湧いてきたと言います。

 

結局選手として試合に出ることはなかったものの、持ち前のリーダーシップを評価されて2年生秋に学生コーチに転身、このことが指導者を志すきっかけとなりました。

翌年3年時には全国高校野球大会に記録員としてベンチ入り、チームは見事準優勝を果たします。

 

高校時代に選手から学生コーチとなり、チームを一歩外から観察する立場で野球と関わるようになったのですね。

また「どういう努力をすれば試合に出られるのか」という選手時代の疑問が後の数字に基づいたチーム運営手法の出発点だったのかもしれません。

須江航監督の家族

須江監督は2022年8月現在39歳、奥さんと二人の子どもさんの四人家族。

2013年にご結婚された妻絵菜さんは38歳、彼女も仙台育英出身で音楽の先生のようです。

二人の間に生まれたお子さんは

長男明日真くん8歳

長女恵玲奈ちゃん5歳

の一男一女。

明日真くんは野球少年のようですから、将来が楽しみですね。

優勝した2022年夏の高校野球大会では二人のお子さんたちがスタンドからエールを送る様子が目撃されています。

 

絵菜さんからみた夫、須江監督は

「とにかく頭の中が野球でいっぱい」な人。

それでも二人のお子さんたちと過ごす時間を大切にしてくれる、家族思いのお父さんのようです。

そんな愛する家族にも支えられて、監督として今回の偉業を達成されたのですね。

須江航監督のチーム作りへの思い

優勝インタビューから見えたもの

全国に大きな話題と感動を巻き起こした須江航監督の優勝インタビューは、終始「関わった全ての人に敬意を示す」という姿勢が貫かれていたように思います。

 

インタビューは「宮城の皆さん、東北のみなさんおめでとうございます」の一言から始まりました。

自分やチームだけの優勝ではなく、応援してくれた人たちやこれまで104回の大会で闘ってきたみんなの想いの積み重ねが今回の結果を導いたということでしょう。

 

また強力なピッチャー陣に関しては当日登板した投手だけではなく、登板しなかった3人、スタンドにいる控え投手も含め「みんなで繋いだ継投」であると強調します。

県大会からの長い闘いである夏の高校野球大会制覇は、たくさんの選手たちの努力が繋がらなければ成しえなかったという事実を見落とさず全員を労います。

 

そして何より日本中の人々の心をつかんだのは、コロナ禍という困難な時代を生きる全ての高校生の気持ちを代弁したような次の言葉でした。

「青春ってすごく密なので、でもそういうことは全部ダメだダメだって言われて…」

彼らが過ごす高校生活はわれわれ大人たちが送ってきたものとは違い、感染拡大防止のため生活のあらゆる面で制約を受ける厳しいもの。

指導者として生徒らに直接かかわっている監督は、どんな大人よりも彼らのことを間近でみていてその辛い気持ちにも気づいていたんですね。

 

そして「全ての高校生の努力の賜物が、ただただ最後、僕たちがここに立ったというだけなので、ぜひ全国の高校生に拍手してもらえたらなと思います」と締めくくりました。

甲子園の舞台に立っていない、テレビに映っていない全国の高校生にもスポットを当てて賞賛を贈ろうと呼びかけた須江監督。

その姿は表舞台に立てる者だけでなく、全ての部員たちの頑張りをきちんと理解して評価したいという須江監督の指導者としてのポリシーそのものを表しているようにも映りました。

 

何を大切にしてきたか

就任四年で東北勢の悲願を達成した須江監督。

彼がチームを率いるにあたって大切にしていると言われていることを三つご紹介したいと思います。

 

〈データに基づいた指導を行うこと〉

須江航監督はチーム運営にあたって、独自のデータを用いた手法をとっています。

数字に基づいた選手選考を行い、一人一人の選手の能力を測定し数値化するこの手法。

これを用いる理由として次の三点を挙げています。

・目標可視化:選手が自身の実力と弱点を把握し、毎日の練習の具体的な努力目標を設定できる。

・レギュラーメンバー区別基準の明確化:チームが求める選手の基準を数値化して示すことで、選考から漏れた選手は「次メンバーに選ばれるためには何をすればよいのか」が分かりやすくなる。

・チームに関わるすべての人への説明責任を果たす:起用選手の選考基準や能力測定の結果をデータ化することで、選手の保護者など関係者全員に理解を求めることが出来る。

 

このあたりは監督自身が高校時代に感じた「何をどのように努力して、何がどれくらいになったら試合に出られるのか」という疑問が基になっているようですね。

 

〈育成と勝利の両方を獲得〉

仙台育英の優勝チームは「継投」を一つの武器にしていました。

このやり方からは監督の「目の前の勝利だけでなく選手たちの将来を見据えた指導」を重視する考えが窺えます。

チームが継投を利用すれば、それだけ多くの選手にチャンスが与えられることになります。そのことが部員達のモチベーションを引き出し、結果的にチーム全体としてのレベルアップに繋がります。

また各ピッチャーへの身体的負担も軽減され、故障による選手生命の危機や、ベンチ入り出来ない部員らが野球への興味を失い辞めてしまう事態も減らすことが出来るというのです。

 

〈チームスローガン「日本一からの招待」〉

このチームには「日本一からの招待」というスローガンがあります。

その意味は日本一を取りに行くのではなく、向こうから招待されるようなチーム・高校球児を目指そうということ。

部員たちには普段の生活態度を見直し、真摯に野球と向き合うことを要求しています。

須江監督が育英野球部の監督に就任したのは、その前年に野球部員の不祥事が発覚しチームが六か月の対外試合禁止処分を受けていたときでした。スキャンダルによってどん底にあったチームの舵取りを任されたからには野球の技術だけでなく、部員たちの人格形成や人としての成長も引き受ける覚悟だったのではないでしょうか。

 

須江航監督への応援メッセージ

 

東北に初めて深紅の大優勝旗を持ち帰り、

困難な時代に青春を送る全国の高校生へ心を寄せた監督のメッセージに心を動かされたという方が多く見られます。

多くの人の声援を受けて全国の頂点に立った仙台育英、

その選手たちの姿と監督の心のこもったメッセージに励まされた人々という関係性が素敵ですね。

気持ちのこもった言葉には人の心を動かす力があることを再確認したように思います。

 

 



まとめ

 

感動的な優勝インタビューで全国の人の心を動かした仙台育英の須江航監督。

自身の経歴や高校時代の経験が監督としてのチーム作りに繋がっているんですね。

またハードな監督業を支える素敵なご家族の存在にも心が温まります。

今後もコロナ時代を生きる全ての高校生、全ての人に勇気を与えるような野球を続けてほしいです。

 

https://twitter.com/jounetsu/status/1568971373845905414
 

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