森保一監督の若い頃・現役時代のまとめ!息子たちは似ていると評判!

スポーツ

サッカー日本代表選手として「ドーハの悲劇」を知る森保一(もりやすはじめ)監督

W杯カタール大会での森保ジャパンに注目が集まっています。

そこで、森保一監督の若い頃・現役時代ののエピソードと、サッカー系YouTubeで話題の息子さんや応援メッセージをご紹介します。

4年に一度のW杯を楽しみ、最後まで応援していきましょう!

[ふきだし set=”神戸姉さん”]この記事を読んでわかること[/ふきだし]

  • 森保一監督の若い頃・現役時代のエピソード
  • サッカー系YouTubeで話題の息子さんの紹介

森保一監督の若い頃

静岡県掛川市で生まれ、長崎県長崎市で育った森保一監督は、小学校5年生からサッカーを始めました。

高校進学の際、本当はサッカーの強豪高校である長崎県立国見高校へ進学したいと考えていました。しかし、受験に対する態度が不真面目だったことからお父様に反対され、結果、長崎日本大学高等学校へ進学することとなりました。

 

長崎日本大学高等学校時代には攻撃的なMFとして活躍し、山梨国体の選抜に選ばれる実力があったものの、強豪校に在学していなかったことから、インターハイや高校選手権などの全国大会には出場していませんでした。

森保一の高校時代の画像

森保一 高校時代の画像 

 

高校時代に誕生した愛称の「ポイチ」は、試合のたびに公式の登録などで「森 保一」と勘違いされたことから、同級生が「ポイチ(保一)」と呼び始めたのが始まりです。

 

また、高校時代の森保監督は「2度もレッドカードを受けたことがある」というエピソードがファンの間で有名ですが、これは、ラフプレーを受けたチームメイトを助けるために飛びかかっていったなど、仲間を守るためにとった行動だったとのことでした。

 

1987年に高校を卒業すると、当時の東洋工業(現・マツダ)子会社のマツダ運輸(現・マツダロジスティクス)に就職し、クラブチーム(マツダサッカークラブ)に入団します。入団当時はプレーの評価が低く、二部的なチームであるマツダSC東洋でプレーしていました。

 

しかし、同年、マツダサッカークラブの監督に就任したハンス・オフト元監督との出会いがあり、見いだされていきます。2年間ほど二軍でプレーし、3年目にトップチームでプレーするようになります。

 

1991年にJリーグが発足し、マツダサッカークラブは「サンフレッチェ広島」としてスタートします。

サッカー現日本代表 森保一監督 現役時代

サッカー現日本代表 森保一監督 現役時代

サッカー現日本代表 森保一監督 現役時代

サッカー現日本代表 森保一監督 現役時代

 

 

1992年4月にオフト元監督が日本代表監督に就任したことから、森保監督は日本代表に初召集され、無名選手の大抜擢と話題になりました。

 

それまでは攻撃的MFとしてプレーしてきましたが、日本代表チームでは守備に比重を置いたプレーを求められました。向かってくる相手選手に粘り強く食らいつき、中盤で地道に献身的なプレーを行ってきた森保選手の働きで、同年のキリンカップではオフト元監督の狙い通り、「ボランチ」という言葉が世間に浸透することとなりました。

 

1993年、アメリカW杯のアジア予選大会で「ドーハの悲劇」を経験します。

https://www.youtube.com/watch?v=SBHPvs8KwxE

 

 

 

Jリーグではサンフレッチェ広島の中心選手としてチームを支え、1994年のサントリーシリーズではステージ優勝に貢献します。

 

しかし1995年7月、右足首関節脱臼骨折で思うようなプレーができなくなります。日本代表チームにおいては別の選手がボランチのポジションに定着し、その座を譲るかたちとなりました。

 

1998年、所属クラブの経営不振の影響で、京都パープルサンガにレンタル移籍。

1999年にサンフレッチェ広島に戻ることとなります。

 

その後、クラブよりスタッフ転身をすすめられますが現役続行を決意し、2002年にベガルタ仙台に移籍します。

しかし、2003年に戦力外通告を受け2004年に現役を引退しました。

 

Jリーグ通算200試合出場を達成。現役・293試合15得点でした。

 

現役引退後にJFA公認ライセンス取得し、サンフレッチェ広島で指導者の道をスタートさせます。

 

その後、サンフレッチェ広島での手腕をかわれ、東京五輪から監督を勤めて、のちに兼務で日本代表監督に就任します。

https://twitter.com/mitsuki1st/status/1596103194702413825

息子は似ているか検証!

森保一監督には3人の息子さんがいらっしゃいます。3人とも森保監督に似て、穏やかそうな雰囲気を醸しだしています。

森保監督 息子との写真

現役時代、森保監督(左)は練習後に長男・翔平さん(右)、次男・圭悟さんとボールを蹴って遊んだ 引用https://www.sanspo.com/article/20220325-S4PPJUYC3FOYFPMUBUI43B6DUU/

 

長男・翔平さん

次男・圭悟さん

三男・陸さん

 

息子さんたちの経歴から森保監督とどこが似ているか、共通点を探していきます!

 

◆長男・森保翔平さん

幼いころからサンフレッチェ広島ジュニアに所属し、サンフレッチェ広島ユースから法政大学に進学しプレーしました。

2009年にはU-18日本代表に選出されました。

大学卒業後はJ2カマタマーレ讃岐(本拠地:香川県讃岐氏)に在籍するプロサッカー選手でしたが、2015年契約満了にともないカマタマーレ讃岐を退団します。

2016年にニュージーランド二部リーグのオネハンガ・スポーツに所属します。

2018年にはニュージーランド・フットボールチャンピオンシップのワイタケレ・ユナイテッドへ移籍します。

2019年にOFCチャンピオンズリーグに出場するマランパ・リバイバースと短期契約するものの、ケガのため出場は果たせませんでした。

現在は、サッカー系YouTubeチャンネル「LISEM」のカメラマンをされているようです。

https://www.youtube.com/watch?v=afUCJfresxc

 

◆次男・森保圭悟さん

サンフレッチェ広島ユース出身で、当時からチーム随一のフリーキックの名手でした。

しかし、高校3年生の時に左足首靭帯を負傷し、半年の離脱を余儀なくされました。その後、森保監督の勧めで2016年にオーストラリアに渡り、エッジワースFCと契約し、1年目に17得点、2年目に9得点を記録しますがビザの関係で退団することになります。

 

2018年にJPVマリキナFCに移籍し、13ゴール10アシストの結果を残すものの、クラブの経営問題により退団します。

2019年にオーバーリーガのTuSロット=ヴァイス・コブレンツに加入しますが、 1年限りで退団することとなります。

 

現役を引退した翌年にYouTuberとしての活動を始め、現在はサッカー系YouTubeチャンネル「LISEM(リゼム)チャンネル」の一員として活躍しています。「LISEM(リゼム)チャンネル」は登録者数24万人超の人気チャンネルとなっています。https://www.youtube.com/c/lisemchannel

 

YouTuberになるにあたり「自分がやりたいと思っているなら、やれよ」「それで生活していけるなら、いいんじゃないか」と言ってもらったそうです。

森保圭悟

次男 森保圭悟さん 日刊スポーツより引用 https://www.nikkansports.com/soccer/japan/photonews/photonews_nsInc_201901200000990-0.html

 

◆三男・森保陸さん

サンフレッチェ広島ユース出身で立教大学に進学しますが、現在は立教大学を休学し海外に留学しています。広島県選抜として国体に出場し日本一になり、また、ユース時代にもプレミアチャンピオンシップで日本一を獲得した経験があります。プロサッカー選手を目指していますので、179cmの長身を活かし、これからの活躍に期待です。

森保陸

三男 森保陸さん https://www.jleague.jp/jyouth/2016/sfteam/hiroshima.html 引用

 

森保親子の似ているところ・共通点

・幼い頃からサッカーひと筋

・複数回の移籍を経験している

・逆境に負けずに自分の道を切りひらく

・第2の人生もサッカーに携わっている

・サッカーが大好き!!

・笑った顔の口元がよく似ています

 

森保 一 監督への応援メッセージ

まとめ

サンフレッチェ広島での監督時代にJリーグ2連覇(2012・2013年)を達成し、2015年にも優勝を果たし、就任中の4年間でチームを3度のJリーグ優勝に導いた森保一監督。

W杯カタール大会で日本中が盛り上がりを見せる中、森保監督の采配に注目が集まっています。

 

【若いころのエピソード】

高校時代に誕生した愛称の「ポイチ」は、試合のたびに公式の登録などで「森 保一」と勘違いされたことから、同級生が「ポイチ(保一)」と呼び始めたのが始まりです。

 

また、高校時代の森保監督は、2度のレッドカードを受けたことがあります。これは、ラフプレーを受けたチームメイトを助けるために飛びかかったことによるものでした。

 

1992年4月にオフト元監督が日本代表監督に就任し、日本代表に初召集されます。オフト元監督の狙い通り、森保監督の当時の働きで「ボランチ」という言葉が世間に浸透し、無名選手の大抜擢と話題になりました。

 

1993年、アメリカW杯のアジア予選大会で「ドーハの悲劇」を経験しました。

 

 

【森保監督3人の息子さん】

◆長男・翔平さんは現在、サッカー系YouTubeチャンネル「LISEM」のカメラマンをしています。

◆次男・圭悟さんは現在、サッカー系YouTubeチャンネル「LISEM(リゼム)チャンネル」の一員として活躍しています。

◆三男・陸さんは現在、立教大学を休学し海外に留学中。179cmの長身を活かしたこれからの活躍に期待です。

 

 

今回はサッカー日本代表・森保一監督の若い頃のエピソードや3人の息子さんのこと、そして森保監督応援メッセージをご紹介しました。

 

監督は日本を背負い大変ですが、ドーハの悲劇という逆境を経験した森保一監督だからこその意地に期待したいところです。

 

森保ジャパンの注目は、まだまだ続きます!

心から応援しています。

 

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